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dc.contributor.author張才興
dc.contributor.other張才興
dc.date.accessioned2020-08-25T06:59:38Z-
dc.date.available2020-08-25T06:59:38Z-
dc.date.issued2012/10/24
dc.identifier.issn1682-587N
dc.identifier.urihttp://dspace.fcu.edu.tw/handle/2376/2484-
dc.description.abstract『老子』における「道」は、形のない、音のない、そして実物のないものとされているのである。ところで、「道」は古から今まで続ける不変なものであって、その存在と非存在の両方の状態を含めているのである。この「道」は見ることも、聞くことも、手にふれることもできない、惚恍として有るが如く無きが如く、その存在は無状の状‧無物の象という状態である。こういう状態は、人間の感覚‧知覚による把握を超越するものの意。つまり、「道」の形象_x000D_ が人間の主観が認識する対象になり得ないものを言う。「道」の働きは天地万物を生み出し、その要諦は「無為」ということである。「無為」とは、本来が「無作為」であることから知られるように、実際は何もしないということではない。それは「無為にして、而も為さざるは無し」という意味である。それなら、人もこの「道」の原理を基づいて無為を持することにより、事情をも成就できるのである。老子によって、無為が大為となる、無用が大用となる、無治_x000D_ が至治となる、不争が至争となるのである。その内在的修行は清静を重んじ、沖虚‧退譲を以て自分から守り、柔弱‧謙卑を以て自分を保持し、恬静‧寂静を以て自分の天分に安んじ、純真に帰り、樸素に帰るを以て目的として自らを養うのである。
dc.description.sponsorship逢甲大學
dc.format.extent30
dc.language.iso日文
dc.relation.ispartofseries逢甲人文社會學報
dc.relation.isversionof第十三期
dc.subject老子
dc.subject
dc.subject無状の状
dc.subject無物の象
dc.subject謙卑
dc.subject樸素
dc.subject.other老子
dc.subject.other
dc.subject.other無狀之狀
dc.subject.other無物之象
dc.subject.other謙卑
dc.subject.other樸素
dc.title老子の思想-「道」の働き
dc.title.alternative老子的思想-「道」的機能
dc.type期刊篇目
dc.description.translationabstract老子所說的「道」是天地萬物的創始者。「道」之為物,目視之而不見,耳聽之而不聞,手搏之而不得,所以「道」是無形、無聲、無物的東西。不過,「道」自古及今都未曾改變,它處於存在和非存在的惚恍狀態之中,因此,迎之而不見其首,隨之而不見其後,老子稱它為「無狀之狀」、「無物之象」。所以說「道」永遠都處於人們的感覺、知覺以外的領域。老子主張「無為」之說,「無為」並不是「無作為」,反之,「道」是「常無為而無不為」的。老子認為人也必須依據這個原理,以「無為而為」的態度去從事一切事務就可以獲得成功。這個「道常無為而無不為」的命題所揭示出來的就是,無為即是大為、無用即是大用、無治即是大治、無爭即是大爭之意。因此,老子「道」的思想主要是在於內在清靜的修為,以及以沖虛、謙遜、退讓為自守的根據。如此才可以保持柔弱謙卑、天真浪漫的本性,而回復于純真、樸素的境界。
分類:第13期

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